150席のところ180名を超える参加者があり、立ち席の方には申し訳ありませんでした。「偲ぶ会などはしないで」の遺言に沿い、会場の一角に羽仁さん愛用の机と椅子を置き、机上には写真と野の花を飾って、羽仁さんが仕事をしているかのような設定の中で、会が始まりました。 | ||
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1.うたの花束 羽仁さんに賛同して設立した全国のコダーイ研究所と、日本コダーイ協会が、わらべうたやコーラスを次々つなげて歌って、うたの花束を作りました。羽仁さんの後援でハンガリー公演もした舞踏家の森谷紀久子さんは、ダンスで花束を大きく豊かにしてくれました。 |
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2.羽仁さんの仕事を映像で紹介 1967年に井の頭保育園でわらべうたを始めた当時の若々しい写真から始まり、2001年にNHKのTVに岸田今日子さんと出演し、わらべうたに関する質問に答える羽仁さんのちょっとかすれた声と顔が会場にながれて、懐かしさと、その声をもう聞くことができない寂しさが胸に応えた人も多かったことと思います。 |
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3.羽仁さんから学んだこと、これからの私たち 東京、名古屋、神戸、駒ヶ根、広島、福岡、佐賀、鹿児島の8カ所の研究所とコダーイ協会の代表者が、羽仁さんとの苦楽の思い出や託された仕事をどう受け継いでいくかを、ある人は羽仁さんに語りかけるように、ある人は詩に託して、語ってくれました。ハンガリーとの大事な架け橋になっているトルダ・イロナ先生からの手紙の紹介もありました。 |
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4.みんなでうたう 参加者全員で「平和のうた」と「わたしゃうたずき」を歌いました。「わたしゃうたずき」では、森谷紀久子さんの振り付けで全員が手をつなぎ、狭い空間を右へ左へと動いて歌っていると、「もっと踊りなさい、うたいなさい」と、羽仁さんが見て喜んでいる気がしました。 「うたはわらべうたからはじめ、ことばは母国語からはじめる」の羽仁さんのことばを受けて最後の出版物となった文学の本「これはおひさま」を買い求める人も多く、感動的なよい会だった、明るく前向きな会で良かったという声を多く聞きました。享年85才、羽仁さんから託された大きな課題をどう引き継いでいくか、それぞれの立場で改めて心に刻み、考える会になりました。 |
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